なぜ、今、日本でDXが議論されるのか 〜 注13

公開: 2021年4月25日

更新: 2021年5月16日

注13. ベトナム戦争

1860年代に、ナポレオン3世が統治していたフランスは、現在ベトナムやラオスの領域に当たる地域に軍隊を送り、植民地としての統治を始めた。その後、フランスは、長期に渡ってベトナムを植民地として支配し続けた。1940年に日本陸軍は、連合国側が中国の蒋介石軍を支援するため、ベトナムやミャンマー(当時はビルマ)経由で、中国南部への物資供給を行っていたとして、ベトナムへ侵攻して、その地を占領した。

1945年に、日本軍は連合国軍に無条件降伏して、ベトナムはフランスの統治下に戻った。現地では、フランス統治時代から、独立を願う人々が、独立のための戦闘を行っていたが、第2次世界大戦が終結して、独立運動はますます激しくなっていった。ホー・チミンは、1945年9月に独立宣言を発表した。

1946年、第1次インドシナ戦争が始まり、フランス軍とホー・チミンが率いる独立を求める勢力の武力衝突から、戦線は広がっていった。この時、第2次世界大戦後も現地に残った旧日本軍の兵士達は、ベトナム独立戦線に参加し、ベトナム民兵を教育し、実戦でもフランス軍と戦った。これに対して、フランスは、1948年、ベトナム中央政府を立ち上げた。

特に、米国とソビエト連邦が対立を深め、冷戦が始まると、ソビエト連邦が独立運動を支援するようになった。1950年、スターリン、毛沢東、ホー・チミンが会談し、ベトナム民主共和国の独立が認められ、1951年、独立が宣言された。1950年に朝鮮戦争が勃発して、米国のトルーマン大統領は、共産勢力の世界的拡大を防ぐために、フランス軍の支援を決定した。

中国の支援で、ホー・チミン軍は、フランス軍との戦いを優位に進めた。1954年、ホー・チミン軍は、ディエンビエンフーでフランス軍と対戦し、勝利を勝ち取った。中国やソビエト連邦を中心とした共産主義勢力の台頭を怖れた米国政府は、ベトナム戦線でのホー・チミン軍の勢力拡大を阻止するため、米国の介入を増大させざるをえない状況に陥った。

1954年、反共産主義者であったゴ・ディンジェムを中心とした勢力によってサイゴンにベトナム共和国が生まれ、反共産主義の防波堤として米国もそれを支持した。ホー・チミンが率いる北ベトナム軍と、ゴ・ディンジェムが率いる南ベトナム軍は、共に共産主義国と資本主義国の支援を受けた勢力として、その後、長期に渡って内戦を続けた。

米国政府は、1961年頃から本格的にベトナムでの戦争に介入し、軍事顧問団をベトナムに送り続けた。1963年のクーデターで、ゴ・ディンジェムが殺害された後、グエン・バンミン派とグエン・バンチュー派との間の勢力争いで南ベトナム政府は混乱するが、1975年のサイゴン陥落まで、米国政府は南ベトナムを支援し続けた。ホー・チミンがベトナムを統一した。

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